福井空港レポート 1

 

2001年9月30日

福井空港でスカイフェスが開催されていましたのでちょっと寄ってみました。

    

2001年8月21日

福井空港に初の国際チャーター便がやってきました。しかも初のジェット旅客機です。
以前に地元新聞に飛来が載っていたので、前日に福井空港へ出向いて情報収集。11時に到着予定とのことだったので、10時半に現着。ちょうど大型の台風11号が日本列島に接近しており、天候は小雨まじりの曇天。フライトキャンセル覚悟で空港ターミナルとはランウェイをはさんだ反対側の田んぼの中でスタンバイしていると、ウラジオストック機が福井RDOにコンタクトしてきました。微風ながら北からの風だったので36エンド寄りで待機していたのですが、機のリクエストで18アプローチ。撮影ポイント移動の為あぜ道を爆走し18エンド寄りに移動しました。
そうしているうちに北の空にランディングライトと黒煙が見えてきました。今回、悪天候ながらも出撃を決意したのは歴史的瞬間に立会いたいというよりも、果たしてランウェイ長1200mの福井空港にジェット機が本当に降りれるのかをこの目で見て確かめたかったから。しかし僕の予想に反して、タッチダウン後はランウェイの半分も使わずにタキシングのスピードまで落としていたのでした。
飛来したのは、富山-ウラジオストック間を定期運行しているウラジオストック航空の小型ジェット機ヤコブレフ40型。僕は着陸後すぐに撤収しましたが、新聞によるとその後は燃料補給のために新潟を経由してウラジオストック空港へ帰っていったそうです。

       

2001年6月17日

今年も福井空港において空自ヘリCH-47Jの体験搭乗が行われました。今回も応募対象は中高生とその保護者だったので僕は適用外。送迎デッキでの撮影となりました。
9時半頃に現着しsky12くんと2年ぶりのご対面。CH47Jは小松基地で燃料を補給し10時にT/O、10時10分頃に北側から現れオーバーヘッドアプローチ?の後、ランウェイ中央にタッチダウンしました。そしてmiyacchiさん親子とも合流。
その後2回に分けて体験搭乗を実施。その間にも地元グライダーや県警ヘリが飛び回っており、1回目体験フライトのアプローチ時はグライダーのアプローチ待ちで空港西側でホールドするシーンも見られました。
本当は前週の10日にも海自YS-11の体験搭乗が予定されていたのですが、直前になってキャンセルになったようです。

     

2001年3月13日

市内をいつものように営業車でまわっていると、前方上空を低空飛行でこっちに向かってくる機体が目にはいってきました。
何故こんな市内で、こんな低空で? 徐々に大きくなる機体をみるとYS-11じゃないですか。車を停めてじっくりと見上げると、尾翼には日の丸が。 YS-11は市内の中心あたりで180度レフトターンし、福井空港方面へ向かっていきます。何があるんだ?と思いとっさにカバンの中のレシーバーを探したのですが、そういえばレシーバーは小松病発病防止のために家に置いてきていたのでした。。
これはもう実際に見に行くしかないと福井空港へ急行。途中で自宅によってカメラ&レシーバーを積み込み、レシーバーのスイッチをいれて走っていると、交信内容がよくわからない。聞きなれない単語が次々と。で、福井空港の駐車場に入ったときには、もうそこまでYSが来ている! 慌てて車を停め、カメラを抱えてダッシュ!で、なんとかランディングをおさえることができました。
機体の正体は、運輸省所属の飛行機で、年に1回のPAPI(進入援助用灯火)の点検に来ていたのでしたした。言うなれば飛行点検隊の運輸省版ですね。
YSはエプロンに30分ほど駐機後、APU始動開始。いったん「ランウェイクリア」がでて、エンドまで行ったのですがYS側の「機体のトラブルではない」理由でエプロンに戻ってきました。その後10分ほどで再び「ランウェイクリア」。さっそうと大空に飛び立っていきました。

    

1999年5月30日

福井空港でCH47Jの体験飛行がありました。
以前に地元新聞で参加募集が載っていたのですが、対象が親子となってたので応募はあきらめ写真だけ撮りにいってきました。と、いってもスケジュールがわからず、朝8時頃から駐車場で待ち、ターミナルが開いてからは屋上で待ちました。この時初めて福井レディオを真剣に聞きましたね。
そして北の空からバルバルという音と共に機影があらわれました。ライトターンしてR/W36でタッチダウン。やはり、このようなのんびりした空港に迷彩塗装のヘリが降りてくるのは異様な光景でした。災害派遣みたい。そして午前中に2回の体験飛行を実施して去っていきました。